初代 ながやま せいほう
明治14年12月21日に生まれ。大阪出身
観世流職分(戦前は現在の能楽師の職階制、職分、師範、準師範の別はなく、玄人は全て職分と称していた)
小鼓(幸清流)
大鼓(石井流)
明治43年 29歳にて明治の小鼓 幸清流家元幸清次郎師へ入門 シテ方を先々代初代観世喜之師へ入門
大正5年 父死去のため帰阪、翌6年より長山皐諷会を設立
その後、毎年春秋、故先々代初代観世喜之師を迎え大会を催し、関西に大いに喜之の芸を広める
その間、現吉田尚親師を始め数人の玄人を育てる。
昭和5年 5月3日51歳で没
二代 ながやま こうざぶろう
明治44年1月18日生まれ。大阪出身
観世流職分(戦前は現在の能楽師の職階制、職分、師範、準師範の別はなく、玄人は全て職分と称していた)
14歳にて先々代初代観世喜之師へ内弟子入門。
十二年間の修業後独立
東京にて住居を構え、東京長山皐諷会を創り舞台活動、素人指導を続ける
主な能の曲、先々代銕之丞(雅雪)師の千歳、石橋、鉢木、猩々乱、等を勤める
将来を嘱望されながら昭和20年2月海軍へ入隊、翌3年、36歳で戦病死
三代 ながやま かつじろう
明治40年2月15日生まれ。大阪出身
観世流職分(戦前は現在の能楽師の職階制、職分、師範、準師範の別はなく、玄人は全て職分と称していた)
父青峰に指導を受け、18歳にて先々代初代観世喜之師へ内弟子入門
青峯死去後毎月20日間稽古に帰阪を許される
昭和21年31歳にて弟と独立。
大阪へ帰り、大阪、堺、奈良、宇治山田、松坂、津、伊賀上野、豊岡、八鹿、香住、四国宇和島、静岡島田に稽古場あり、200人余の会員を指導する
大阪九皐会支部長として大阪で精力的に活動する
主な能の曲、千歳、石橋、鉢木、猩々乱、翁、道成寺、等を勤め、昭和32年6月1日禮三郎の独立を夢見、無念の内に病死、享年52歳。
四代 ながやま れいざぶろう
本名 長山 昭
重要無形文化財総合指定保持者
昭和18年1月25日生まれ。東京出身
能楽師 観世流シテ方 観世九皐会所属
(公社)能楽協会会員
(公社)日本能楽会会員
(公社)観世九皐会
(公社)銕仙会会員
能・狂言鑑賞の会 主宰
皐諷会(長山禮三郎社中の会)主宰
長山幸三郎の長男
故二世観世喜之師、故八世銕之亟師(人間国宝)、三世観世喜之師師事
東西にて舞台活動、素人会員の指導を続ける
父を2歳の時に失い、母とは9歳にて離別、伯父勝次郎宅へ引き取られ、謡曲仕舞の指導を受ける
小学校卒業後すぐ東京先代観世喜之師へ内弟子入門、12年間の修業を経て昭和42年1月、24歳にて独立
「堺市民能」「芦屋能」を企画演能
2020年 4月5日 間質性肺炎の為、永眠。享年77歳
1953年 10歳にて仕舞「鞍馬天狗」初舞台
1955年 12歳 観世喜之家内弟子入門、住込みの内弟子となる
1964年 大阪九皐会にて 『翁』千歳を披く (シテ 二世観世喜之師)
1965年 九皐会にて初シテ「小鍛冶」
1967年 24歳 12年間の内弟子修行終え独立
〃 独立披露能にて「石橋」披く
〃 大阪九皐会にて 「猩々乱」を披く
1969年 八世観世銕之亟(静夫)師に師事始める
1970年 堺鳳神社にて堺薪能(現在 堺市民能と改名)を企画演能 (主な出演者 観世雅雪師・初代観世喜之師・観世寿夫師・観世静夫師 他)
1972年 初代観世喜之三十三回忌追善会にて「道成寺」披く
1974年 5月堺鳳に長山能舞台を落成
〃 自主公演「能・狂言の夕べ」を発足
1976年 9月4日より35日間「世阿弥座」と称し、観世寿夫師を団長に観世静夫、栄夫、野村万之丞、宝生閑師等とフランス、スウェーデン、東ドイツ等の五か国公演に参加
1977年 兵庫県芦屋市に自宅敷舞台を落成
1978年 能・狂言の夕べにて「道成寺 赤頭」勤める
1980年 堺市民能にて「翁」披く
1982年 大阪文化祭賞本賞を受賞(能・狂言の夕べ 能「松風」にて)
1983年 8月15日 大阪薪能申し合わせ中舞台、脳梗塞で倒れ半身マヒとなり半年舞台を休演
1984年 能・狂言の夕べにて「安宅」披く
1985年 能・狂言の夕べにて「屋島 大事」
1986年 重要無形文化財総合指定保持者の認定
1987年 大阪九皐会にて「望月」 披く
1989年 「芦屋能・狂言の夕べ」を発足主催
〃 大阪九皐会追善会にて「正尊」披く
1991年 能・狂言の夕べにて「恋重荷」披く
〃 大阪文化祭賞本賞を受賞(能「恋重荷」にて)
1995年 能・狂言の夕べにて「三輪 白式神神楽」披く
〃 大阪文化祭賞を受賞(能「三輪 白式神神楽」にて)
1997年 能・狂言の夕べにて「求塚」披く
1999年 能・狂言の夕べにて「卒都婆小町」披く
2000年 芦屋能にて4回目の「安宅」
〃 「堺市文化功労者」受賞
〃 7月3日 観世銕之亟静雪師逝去 1969年より31年間師事し、能167番・舞囃子57番(重複曲含む)稽古を受ける
2002年 観世九皐会別会にて「木曽」披く
2003年 能・狂言の夕べ(禮三郎還暦記念・長山桂三独立披露)にて「鷺」披く
2004年 能・狂言の夕べにて4回目の「道成寺」
2005年 長年にわたり芦屋市における能・狂言の定着と文化向上の貢献により「芦屋市民文化賞」受賞
2009年 大阪九皐会別会にて「鸚鵡小町」披く
2010年 阪神囃子連盟調和会にて「清経 恋之音取」披く
〃 「大阪府知事賞」受賞
2014年 能・狂言の夕べにて「姥捨」披く
2016年 長山皐諷会(長山禮三郎・耕三社中の会)100周年記念公演を実施
2018年 堺市民能48年間、高質な伝統芸能の開催に尽力した功労に「堺市有功賞」受賞
〃 桂諷會ー三代能ーにて、能「羽衣 彩色之伝」を勤める
2019年 11月29日 芦屋能「葵上」が最後のシテとなる
2020年 3月1日能と囃子の会、舞囃子「白楽天」が最後の舞台となる
2020年 4月5日 間質性肺炎の為、永眠。享年77歳
*『披く』とは、役者としてキャリアを積んで行く過程で節目となる曲を初めて勤める事を云う
ながやま こうぞう
重要無形文化財総合指定保持者
昭和48年5月2日生まれ
能楽師 観世流シテ方 観世九皐会所属
(公社)能楽協会会員
(公社)観世九皐会
耕三の会 主宰
皐諷会(長山禮三郎社中の会)主宰
長山禮三郎の長男
4歳「玄象」の仕舞にて初舞台、六歳にて初能「三井寺」子方(シテ禮三郎)を勤める
以後、先代観世銕之亟師、栄夫師、喜之師、禮三郎のシテにて計三十数番舞台を勤め、子方を卒業とする
平成6年 観世流研修生となり、同年3月21日初能「経正」初シテ
平成6年 東京観世喜之家内弟子入門
平成12年 観世御宗家より準職分を取得、独立。千歳、乱、石橋等勤める
平成20年 自己研鑽の場「耕三の会」を発足
平成21年 義父上野朝義と共に大阪天満宮本殿にて「梅まつり勧進御能」に携わる
平成22年 稽古舞台「芦屋能舞台」を構え、姉妹都市のモンテベロの留学生に能楽体験を開催
平成25年 芦屋神社にて「能楽子ども教室」を8月に開催
平成29年 重要無形文化財総合指定保持者の認定
現在東西の舞台で活動
稽古場は「芦屋」「桃谷」「堺 高倉寺宝積院」を中心に普及活動に取り組んでいる